Madenokoujiのブログ

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「独身様」が申し訳なさそうに生きる時代🗣️

「子持ち様」という言葉は、子供の世話を理由に周囲に迷惑をかける人を揶揄するネットスラングで、特にSNSの独身女性の間で定着している。しかし、この不公平な状況は、現代社会が女性の社会進出を選んだ結果と言える。子育て中の女性が人生のイベントを完全に諦めている訳ではないが、子供の急な体調不良や結婚・妊娠・出産などの困難な事象が生じることは避けられない。

しかし、少子化が進行する現代においては、「子供」の価値は相対的に上昇し、子供を産み育てる人の社会貢献度も大幅に改善している。「子持ち様」は本当の意味で社会から有り難がられる存在となり、一方で、人口動態の持続可能性に貢献できない独身者は「人口再生産性に貢献できなかったのだから、あなた方はせめて労働でカバーするのが筋だろう」という扱いになると思われる。

また、少子化の時代においては、「子持ち様」をバッシングする流れは徐々に下火になり始めている。子育て世帯の多大な貢献に比べれば、子供によって生じる周囲への「迷惑」は些末な事に過ぎない。これまで「社会的により望ましい存在」として扱われてきたのは、迷惑をかけずに生活を送る「おひとり様」であったが、少子化と高齢化が進む時代においてはその評価が低下してしまう。

岸田政権は「異次元の少子化対策」と銘打ち、子育て支援や子育て世帯を優遇する政策を打ち出している。これらの政策は「子持ち様」に対する世間からの評価を改善するだろう。これらは「子持ち様への不当な優遇」ではなく、人口再生産性に寄与するという多大な貢献をしていたにも係わらず過小評価されていた「子持ち様」の評価を適正化するものである。

少子化と高齢化、インフレと人手不足の時代は、驚くほどあっさりと時代の流れを反転させてしまう。「生涯独身主義」を推奨されない事になる可能性が高い。

 

私見

世の中の動向として「子持ち様」の優位性が高くなる事は理解できる。しかし、「独身様」も同じ時代に生きる人間であり、そう単純に区別して良いのだろうか❓

個人の高い才能・能力・技能等により、「子持ち様」より社会的に高い貢献を確立している方も当然いるはずである。また、不幸にも身体的な理由から「子持ち様」を望んでいても叶わない方も存在するはずだ。そのような方を「独身様」とみなす事は、社会的にも許されるとは思えない。

少子化と高齢化、インフレと人手不足の時代である事は事実であるが、「子持ち様」と「独身様」をまるで名札のように単純に区別すべきではないと感じる。どちらを選択するかの自由を無視する事は許されないはずだ。俯瞰的な視点から考えれば、「子持ち様」と「独身様」との言葉自体が存在すべきではないと思う。

従って、この記事のタイトル『「独身様」が申し訳なさそうに生きる時代』自体に違和感を感じるのは、私だけだろうか❓

 

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