今までに私は「夢」に関し何回か投稿してきた。
しかし、68歳の爺さんになって少し考え方に変化を感じている。
単なる「夢」ではなく、「老い」を考慮する必要性を痛感するようになった。
同年齢の家内と暮らしていて、約2年間介護生活を送ったお袋を思い出す。
お袋は車を降りる際に転倒し、頬の骨にひびが入ってしまった。
また令和元年初日の5月1日早朝に自宅内で転倒し、私が気付いた時には足の付け根が痛いとの事であった。
世の中は大型連休のど真ん中で、どこの病院へ行けば良いのか非常に苦労した。
やっと整形外科の先生がいる病院を見付け、診察を受ける事ができた。
すると「入院・手術」の声が聞こえたが、周囲にそれらしき人はおらず嫌な予感がした。
呼び出しが有り先生の説明では、「大腿骨頸部骨折(足の付け根の骨折)」で即入院して手術を行い金属のボルトを埋め込むとの説明があった。
先生から「このような時は救急車を呼んでもよいのだよ」と言われたが、「私にはそのように悪いとは思いませんでした」と答えた事を明確に覚えている。
お袋は先生に手術は嫌だと訴えたが、先生から歩けなくなるから手術を受けなさいと指示された。
お袋は結局約1か月半入院しある程度歩けるようになったが、最終的には亡くなる原因になったと思っている。
遠回りをしたが運動不足の家内にもこのような危険を感じる。
一方でこの私にも「老い」が潜んでいる。
最近の私はコロナを恐れ公共交通機関は使わず、親父とお袋の墓参りにも車を使う。
先日の墓参りの際は首都高速を選択したのに、カーナビを見誤り一般道に戻ってしまった。
この様な経験は初めての事であり、非常にショックであった。
確かに私の車は一般的な車と比較し走りを重視したタイプで、そのような人達に好まれる。
私にも「老い」が生じ、このような車を使いこなす事が難しくなったのではないだろか❓
今回の高校時代のクラスメイトとの「合宿」でも、多くの人達が「病」と向き合っており「老化」を感じざるを得なかった。
最初に戻るが私が抱いていた「夢」には「老い」への配慮も必要だが、希望も忘れまいと心に誓った👍