今年の7月に叔父が亡くなった。
お袋は7人兄妹で、叔父は末っ子だ。
私が心配したのは、長女の息子である76歳の従兄の事である。
悪性リンパ腫を克服したと聞いたが、今度は別の病気で入院している。
電話で見舞に行きたいと連絡したが、歩行が厳しくリハビリを続けているとの事。
また新型コロナやインフルエンザの影響もあり、病院での見舞いは難しいようだ。
退院したら、見舞に行くつもりだ。
しかし明日は我が身で、そのような事は他人事ではない。
私は一昨年の検診で、肺ガン検査がNGに。
何回かのCT検査後入院して気管支鏡検査を受け、幸いにもOKだった。
経過観察中で先日もCT検査を受け、大丈夫だった。
今年の検診では、血液検査で「脳梗塞・心筋梗塞」の発症リスクを検査できるとの事で、それも実行しOKだった。
後は胃カメラ検査を受ける予定だ。
私は脂質が高い為食べたい物も注意しており、毎日トランポリンのトレーニングを実施している。
また25年以上の腰痛で、大学病院から整体治療や鍼灸治療他ありとあらゆる治療を行ったが、治る気配もない。従って、ゴルフも諦めた。
更に厳しい状況にはないが、30年程の持病の治療を継続しており、酒も飲めない。
当然約30年前に禁煙もした。
麻雀他ギャンブルも一切やらない。
何が楽しくて生きているのか❓
毎日パソコンと戯れる事と、「・・・」に非常に関心があるだけだ。
ところで、私は一人っ子で、5年前の旧盆の大型連休の前日に、実家のお袋から調子が悪いので来て欲しいとの連絡があった。
翌日から東名の大渋滞が予想され、取る物も取り敢えず帰る事にした。
気軽な気持ちで帰省したが、86歳のお袋の言動が何かおかしい。
仕方なく、連休後に内科の主治医を受診したが、先生から総合病院を紹介された。
今度は総合病院へ行きテストの結果、所謂年寄り病と診断され、進行を遅らせる薬を処方された。
私はどうすれば良いのかと思った時、看護婦さんから電話番号を知らされ、ここに電話して相談する事を勧められた。
連絡先は包括センターで、なんと私は約2年間の介護生活に突入する事になってしまった。
まず困った事はお金で、お袋は貯金通帳を覚えていたので、この家にいくらお金があるかと年金額が分かった。
それと郵便は必ずチェックし、重要事項の把握に努めた。
そしてノートを2冊購入し、お袋の毎日の体調他を全てメモし、もう一冊で貯金通帳をマネた人生初の家計簿を作成した。
ケアマネ他多くの方々に助けて頂き、介護生活にも慣れていった。
そんな時、またまた世の中がゴールデンウィークの大型連休のど真ん中、令和元年初日の5月1日の早朝、お袋が部屋の段差で転び足の付け根が痛いと話した。
探した、探した、探した。
やっと整形外科の先生が、休日診療している総合病院を発見。
受診後先生からは、「大腿骨頚部骨折」で即入院、金属ボルトを付ける手術を行うとの事。
約1ヶ月半入院し、ある程度歩けるようになった。
しかし、病院での寝癖が付いてしまい、退院しても寝てばかり。
ケアマネと相談し、老人ホームへの入所を決めた。
運良く一回の見学で好条件の老人ホームが見つかり即入所し、お袋も規則正しい生活になり、快適な生活を送っていた。
しかし、世の中は新型コロナになり、面談も不可能になった。
更に、お袋は肺炎を発症し総合病院に入院した。
先生からは2~3週間の入院と言われたが、薬が効かず悪化してしまい1カ月程で亡くなってしまった。
私は葬儀他死後の処理を全て行い、墓じまいもし東京の自宅での生活に戻った。
お袋の介護で家計簿によりお金の管理をした。しかし、東京に戻ると我が家のお金が把握しにくい事に気付いた。Excelで家計簿を作成し、老後の資金の事も考え投稿済みの下記の整理を行った。
前述のように私はパソコンを除くと、関心があるのは「・・・」だけなのだ。
私も肺ガンをかすっており、いつ従兄と同じように歩けなくなるか分からない。
一昨日の午前3時にパカット目が開いたので、静かに老後の資金の微調を考え「・・・」入手を検討した。色々と制限があり実現は早くて約1年先になるが、出来れば私の最後の希望を叶えたい。
また、私は色々と拘りの強い人間である。
先日お歳暮の連絡が届いた。本当は送りたい品があるのだが、上記を優先させるため家内の意見を尊重し、これも一昨日即決し後はネットで発注するだけだ。
お歳暮の知らせがあったので、年賀状を見たところ来年の受付が始まっていた。昨年まで10年以上札幌の印刷屋さんにお願いしていたが、今年分からは東京の文房具屋さんに変更した。来年から年賀状をメールに変更との連絡も散見されたが、我が家は従来通りとする。これも一昨日何点かピックアップしたので、最終的には家内と相談して決定する。
おせち料理などは拘らないので、一昨日の作業で年越しなどの準備はほぼ完了🙂👍🎍